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不思議な手法でロイ・アンダーソンが描いてきた「人間」とはなんだったのか?

2016.08.31(Wed) | 河井克夫

漫画家の河井と申します。私事ですが、洋画の映画監督の中でロイ・アンダーソンが一番好きかも知れない、と周囲に言ってたら、その代表3部作について書け、という仕事を承り、それがこの小文であります。光栄であります。

散歩する惑星
ロイ・アンダーソンは、スウェーデンはストックホルムの、CF出身の映画監督で、その3部作とは「散歩する惑星」(2000)「愛おしき隣人」(2007)「さよなら、人類」(2014)の3本です。3本とも素人が見てすぐそれとわかる、ロイ・アンダーソンにしかない絵ヅラ。それは彼の「手法」が特殊なところで確立しているためで、すでにその作品に触れられた向きには野暮なようですが、以下、その手法について説明します。
展開するシーンはほぼ必ず、固定されたカメラでの画角引き気味のワンショット。映し出されるのは北欧っぽいアパートの一室だったり街角だったり、たまにすごく広大な場所だったりします。静謐で、かつ瀟洒な、まるで絵に描いたような背景で、それもそのはず、いずれも全てスタジオに組んだセットらしい。しかもCG一切不使用。つうことは、あの遠くに見えるビルは描き割りで、その下を動いている車はミニチュアだということか!
部屋のセットには必ず窓があって外が見えます。もしくは開け放たれた扉があり、廊下やさらにその奥の向かいの部屋が見えます。たとえ前景に人がいない場面でも奥には必ず誰かいる。次々と現れるシーンの背景は、必ずこの二層三層の構造を持った奥行きのある空間になっていて、これが順番に出てくるだけでもう充分面白い。この凝ったセット作りのせいでロイ・アンダーソンの映画は、製作するのにそれぞれ何年もかかり、20年以上かけて3本しかできていないのはそのためなのでしょう。
そしてそこを舞台に、点景のような登場人物。ひとりか、何人かか、もしくはものすごくたくさんの人が急にいたりしますが、大抵ハゲてたり肥ってたり、各人各様のくたびれはてかたをしたオッサンオバハンたちで、なぜかみな薄く白塗りをしています。そしてみなヨーロッパの人たちのような顔をしています。ヨーロッパの人たちなので当たり前なんですが。それが白塗りしてることによって、まるで歴史のどこかで時間を止められたような人たちに見えます。みなヨタヨタ歩いてて、走ったりする人出てこないし。
愛おしき隣人
そのセットと白塗りキャラで構成されたシーンの数々は、まるでどこかの美術館でかつて見たような古い、地味な、でも美しい絵画で、ようするにロイ・アンダーソンの映画はその絵画が、ちょっと動いたりして、なんか面白いことになっていく、というものです。
(そういえば『グランド・ブダペスト・ホテル』とかのウェス・アンダーソンも絵画的な画面で定評がありますが、アンダーソンってのはそういうのが好きなんですかね?)
映画はその絵画っぽい画面のなか、なにかそれぞれ苦悩をかかえた登場人物たち(プロ俳優ではなく、街で素人をスカウトして使っているそうです。)が、会話したり行動したり、あるいはほとんど何もしないでいる様をじっと観察するようなカットで紡がれていて、そこだけ観ると何が起きているのかよくわからないシーンも多くあります。あとから思い返してもよくわからないシーンも多くあります。カットはだいたい30秒から3分くらいで次の「絵画」に移り、前述したカメラ固定のセット芝居なので、よく出来たコント番組のようにも見えます。実際、この監督が語られる時にモンティパイソンとか引き合いに出されたりもするようです。
照明は大抵明るめで、画面の隅々まで光があたっていて「暗くて見えない」部分がないことには注目。たとえ夜だったり、薄暗い場所であってもそこが大体どういう場所で何があるのかはハッキリ見えます。カメラは大抵目の高さで、煽ったり俯瞰だったりせず、登場人物たちの全身が見えるので、いよいよコント番組っぽい。正面切ってカメラに向かってずっと喋ってたりするシーンも多い。
さて、そこで起きる会話や事件はさまざまですが、おおむねユーモラスなもので、中には明らかに笑わせにかかっているすごくくだらないエピソードも多くあります。やっぱりこれコントなんじゃないの?そう思って油断してると、ときどき、とんでもなく残酷だったり、怖かったり、あるいは映像的な大仕掛けのシーンがぶちこまれてきてびっくりします。
普通の劇映画みたいに「次はこうなりますよ」という記号的な演出がないので、本当に何が起きるのかわからず、観るのに緊張を強いられる監督ではあるかも。見方としてはだから、筋を追うとかじゃなくて、やはり美術館にいるように、ぼんやり眺めるように観つつ、くだらなかったら笑い、びっくりするシーンがあったらびっくりする、というのが正しいような気がします。わからないシーンはほうっておく。
さよなら、人類
各作品の解説に移ると、自分が一番好きなのは「散歩する惑星」。
いちばんSFっぽい話で、なにか国全体が得体の知れない災厄に瀕していて、それと関係してかしないでか、人々が悩んで右往左往する話。
「愛おしき隣人」はもうちょっとトーンが明るく、ロックスターに恋する少女が軸になり、でもやっぱり人々が悩んで右往左往する話。楽器演奏のシーンも多く、三作のなかではいちばん、音楽がフィーチャーされてる印象。
そして「さよなら、人類」は、ジョークグッズのセールスマン二人組が軸になって、人々が右往左往する話。
「さよなら、人類」は最後らしくなのか、一番哲学的な印象が強いかも。他2作では見られなかった、シーンをつなぐ暗転中、字幕でなにか箴言めいた文言が登場したりするんですが、最初に出てくる字幕には「“人間であること”に関する三部作の最終章」とあり、今まで作って来た映画がすべて“人間であること”をテーマに作られて来たことが明言されております。

つまりロイ・アンダーソンが、20年かけてちまちま続けてきたこの凝った手法は、すべて“人間であること”を表現するのに必要だった、ということです。
ようするに人間であることとは、一見静かな美しく絵画のようで、でもわりとみんなくたびれてて、なにも起きてなさそうで細かくなにかが起きていて、薄暗いようでいて実は奥のほうの隅々まで光があたっていて、時々とんでもなくくだらなかったり残酷だったりびっくりしたりするものである、とロイ・アンダーソンは20年かけて言って来たということです。以上、結論。

ちなみに、さらに私事ですが、邦画で一番好きな監督は川島雄三で、この人は短命ながら量産系の監督でしたが、やはり極端な手法で“人間であること”を描いて来た人だと思います。

Writer | 河井克夫

漫画家、イラストレーター。その他いろいろ。映画は他ジャンル観ますが、好きなのは東宝プログラムピクチャー。映画「ゾンビデオ」(2011)の脚本を執筆したとき、当初「喜劇ゾンビ学入門」というタイトルをつけたがプロデューサーに却下された。現在コミックビーム誌上で久生十蘭原作の漫画を連載中。

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