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女が優れていると書いて女優~ジュディからカラスまで

2020.02.28(Fri) | 仲谷暢之

昔、映画評論家の淀川長治さんが、女が優れていると書いて女優なの。最近は優れている人が少なくて残念に思うとおっしゃってたっけ。その言葉は、長らく自分の脳裏にこびりつき、今も映画を見るたびについ、この女優は優れているかどうかの判断をしてしまう妙なクセがついてしまった。3月6日(金曜日)から公開される「ジュディ 虹の彼方に」を見ながらレネー・ゼルウィガーには心から女が優れている人だなぁという確信を得ました。というわけで、今回は「ジュディ 虹の彼方に」の紹介とともに、青山シアターで見ることのできる「女が優れていると書いて女優」を描いた映画をご紹介したいと思います。

『ジュディ 虹の彼方に』
ジュディ
 女優として優れていたとしても、女としては、残念ながら優れていなかった方、実は多いと思う。ジュディ・ガーランドはその方たちの中でも知名度と不幸度ともに上位に位置する人だと思う。

 今も不朽の名作として語り継がれている映画「オズの魔法使」のドロシーを演じ、ハリウッドのスターダムへと駆け上がったものの、以後、青春ミュージカルスターとして次から次へと作られるようになった映画に出演するため、体を酷使。それをごまかすように映画会社の首脳部から与え続けられたアンフェタミンやら睡眠薬などにより、結局、薬物依存や神経症に苦しめられるようになり、遅刻や撮影に穴を開けるようになった結果、映画会社から解雇されることに。
 そんな彼女は、コンサートに活路を見出しそのパワフルなステージで好評を博し、さらにレディ・ガガ主演でリメイクされたことで記憶に新しい「スタア誕生」(機会があれば是非見てほしい!)でスクリーンにカムバック。再び実力を見せつけ、オスカーにまでノミネートされたものの、ハリウッドは彼女の行動を問題視したせいか、受賞を逃し(その時の主演女優賞は「喝采」のグレース・ケリー!)、さらにやっとの事で獲得したテレビ番組「ザ・ジュディ・ガーランドショウ」も、あるクレームから半年で終了したことで、再びアルコールや薬物の依存症に拍車がかかり、1960年代後半には家賃にも事欠くわ、そのせいで子どもの親権まで奪われるわのドン底状態。そんな時、ロンドンで5週間にも及ぶ長期ライブをやらないか?との話が来て、金銭面のことを考えると背に腹を変えられないとばかり引き受けたものの、精神的には相変わらずボロボロ。とはいえ、子どもたちともう一度一緒に暮らしたい一心で旅立ったロンドンでの日々を描いたもの。
 ショウビジネス界の中でしか暮らしてこなかった彼女が、完全に過去の人であるという現実を知らされる残酷さ。ふとよぎったのは、サイレント映画時代の大女優と若き脚本家を描いた映画「サンセット大通り」の主人公ノーマ・デズモンド。彼女は最後まで虚構の中で生き抜いてしまったけれど、ジュディは現実に向き合う・・・。
 そんなジュディを演じるのはすでにゴールデン・グローブ賞、そしてアカデミー賞、英国アカデミー賞で主演女優賞を受賞済みのレネー・ゼルウィガー。彼女自身も実は約10年も本格的な女優活動は行っておらず、距離を置いた生活を送っていた。本人曰く「鬱状態でもあった」そうで、今回の役は自身の復活とも重なっているわけで、数々の賞を受賞したのは当然でもあり必然でもあったかもしれない。
 彼女のこれまでの作品で「ブリジット・ジョーンズの日記」の1作目や「シカゴ」、「ベティ・サイズモア」は、実はゲイが大好きな映画たちなのだけど、ジュディ・ガーランドの「オズの魔法使」も彼女自身も、ゲイの中ではアイコン的作品になっている。
 これは彼女自身がマイノリティに対して、とても寛大だったということもある。そして、彼女が亡くなり、ハリウッドでなく“ニューヨーク”のストーンウォール近くの教会で葬儀が行われた翌日に、その後、世界中で行われているゲイプライドパレードのきっかけとなった“ストーンウォール暴動”が起こった原因の一つにジュディの死への共有からとも言われており、「Over the rainbow」は同性愛者たちにとっての象徴的な曲に・・・。
 今作でもダンとスタンというゲイのカップルが登場する。ロンドンに滞在しているジュディにとって彼らとの思いがけない交流は、唯一、彼女が心を許した場面だと思う。そしてこの交流が、ラストへも繋がる精神的な伏線でもあり、ここを演じるレネー・ゼルヴィガーとジュディ・ガーランドが見事にシンクロする奇跡の場面でもある。
 映画のオープニングに「心というものは、どれくらい君が愛したかではなく、君がどれくらい人に愛されているかによって判断されるのだ」というオズの魔法使いの言葉が引用されているのだけど、まさにジュディとレネーという女優のためにあると実感できるはず。

◆『ジュディ 虹の彼方に』 3月6日公開
『映画女優』
映画女優
 「原爆の子」や「裸の島」など数々の賞を受賞した名匠・映画監督・脚本家、新藤兼人の原作「小説・田中絹代」を元に、市川崑監督が、大正末期から昭和にかけて日本映画史を代表する女優のひとり、田中絹代の半生を描いた作品。
 田中絹代役には今も主演作を発表し続けている吉永小百合が演じている。
最初、市川崑監督からの出演依頼を彼女は断ったと言う。そらそうだ、田中絹代役だもの。かつて実際に共演し、いくら亡くなられたとはいえ、その存在ははっきりと自分の中に残っている、そして何よりも恐れ多すぎる、私なんか先生を演じるなんておこがましすぎるというのがきっと本心だったろうから。それをウンと言わせたのは監督から「田中絹代でもない、吉永小百合でもない、新しい映画女優を作ろうや」という提案に彼女が乗ったから。映画の中では溝口健二(映画では溝内健二)の新作「浪花女」をめぐっての絹代との壮絶なる監督と女優との攻防が見ものでもあるのだけど、吉永小百合も監督に挑戦するつもりで、気持ちは常にバッターに勝負球を投げるピッチャーの心境で演じたとインタビューで答えていたのを読んだことがある。
それだけに映画の中では、まさに田中絹代と当時乗りに乗っていた吉永小百合という女優の、優れた部分、清い部分、闇の部分などが見事に結実した映画女優を作り上げている。
 それにしても日本映画史の中で重要な作品を数々生み出している市川崑監督が、自身のフィルターを通して描く映画の歴史の面白いこと!映像のコリ具合は言わずもがなだけどなんと言ってもその筆頭は、実際に田中絹代と「愛染かつら」と「浪花女」で共演した上原謙、高田浩吉が時を経て、吉永小百合と再現共演するという試みには公開当時も話題になったし、フィクションとノンフィクションの絶妙なバランス、思い切ったエピソードの飛躍(第二次世界大戦時代のことや、戦後、日米親善使節として渡米、帰国した後のアメリカかぶれに映った行動に大バッシングされたことなど)。そして当時も賛否両論だったエンディングの、かつての監督作品「おとうと」のような大胆な終わり方は、今の時代、初めて見る人はどう受け止めるのか興味津々。
 映画に一生を捧げた田中絹代は、吉永小百合がしっかりその轍を踏んで、映画の世界に一生を捧げようとしている。ただしすでに田中絹代が亡くなった年齢をとうに越えて・・・。
『イングリッド・バーグマン~愛に生きた女優~』
イングリッド・バーグマン
 初めて彼女を見たのは、アガサ・クリスティ原作を豪華キャストで映画化した「オリエント急行殺人事件」のテレビでの放送だった。スウェーデン人の女宣教師として出演していた彼女は、この作品でアカデミー助演女優賞を受賞しているというのを知って、まだ初見当時、10代の自分にはそんな賞をもらうくらい出番多かったかなぁという疑問が浮かんでいた。だけど、歳を重ね、再度見るうちに、まぎれもなく彼女は女優であるという爪痕を、しっかり作品の中に残しているなぁと、受賞を納得(蛇足だけど、ジュディ・デンチが「恋におちたシェイクスピア」でエリザベス女王役でアカデミー助演女優賞を受賞した時も同じ気持ちになったけれど・・・)。
 でもって、納得すれば過去の作品も見たくなるわけで、アトランダムだったけれどアルフレッド・ヒッチコック監督作品に出ていた「白い恐怖」「汚名」「山羊座のもとに」やハンフリー・ボガードとの共演作「カサブランカ」、初めてアカデミー賞主演女優賞を受賞した「ガス燈」、アーネスト・ヘミングウェイ原作の「誰が為に鐘は鳴る」、二度目のアカデミー賞主演女優賞を受賞した「追想」、コメディ映画「サボテンの花」、イングマイル・ベルイマン監督の「秋のソナタ」を見たけれど、作品ごとに見事にアピールの仕方を変えて、前記したように作品に女優という爪痕をしっかり残す人だなぁと再確認した・・・。
 そんなイングリッド・バーグマンの生誕100年を記念して公開されたのがこのドキュメンタリー。いろんな意味で彼女に対するイメージが払拭されるはず。スウェーデンに生まれ、早くに両親を亡くし、叔母に引き取られ暮らしながら女優を目指し、オーディションで才能を見出され、演劇学校に行きながら映画に出演という、私生活では苦労はしたけれど、女優としては順調なスタートを切って、やがて結婚し、出産を経て、次々と映画に主演していたときに、「風と共に去りぬ」で有名な大プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックからの誘いを受け、いったん夫と子どもを残し渡米し、映画を撮影、これが高評価を得て、本格的にアメリカで活動の場を移すことに、夫と子どもを呼び寄せ女優と妻、母親として暮らしていたものの、やがて当時、大スキャンダルにもなったイタリアの映画監督ロベルト・ロッセリーニとの不倫が明るみ出て、夫と子どもを残し、イタリアへ。全夫との離婚が成立するとロベルト・ロッセリーニと再婚し、数本のイタリア映画を撮影するもアメリカでは上映拒否など、女優としてのキャリアに傷がついてしまう。さらにイタリア時代の蜜月もやがて破綻を迎えるころ、アメリカでの復活を目指し行動に移していく・・・。
 とにかく女優としてとてもアグレッシブな人だったんだなぁとびっくり。スウェーデンにいた時からもいつかはここを出たいという気持ちが常にあったり、ロベルト・ロッセリーニとの出会いも、彼の映画を2本見て、どうしても一緒に仕事をしたくてというのがきっかけ。それでその時の状況も言葉の壁もなんのそのとばかり、行動に移してしまう。そしてちゃんと結果を出し、女優として爪痕を残す。
 不倫のバッシングに対しても「当然、傷ついたけど、私のしたことは他人に関係ない、女優は演技で評価すべきよ。作品を見るには、お金を払うのだから、嫌なら席を立てばいい、私生活への批判は間違っている」なんてことをしっかりと言いのけてしまう。まさに信念の人・・・。  このドキュメンタリーの凄いところは、彼女自身が資料をたくさん保管していたこと。カメラマンであった父が撮影した幼い頃の写真から、彼女や夫や子どもたちが撮影したプライヴェートフィルムが惜しげも無く使用されていて、その映像から改めてイングリッド・バーグマンの天性の美しさ、オーラ、そして子どもたちへの愛情が満ち溢れているのを感じられる。だからこそ、残された子どもたちが今作に協力し、作り上げただけある、見応えあるドキュメンタリーになっている。
 彼女の言葉を借りれば「私は多くを望まない、ただ、すべてが欲しいだけ」・・・ちゃんと叶っている。
『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』
グレース・オブ・モナコ
 アルフレッド・ヒッチコック監督が、彼女について“雪をかぶった活火山”と比喩し、“クールビューティー”という言葉を体現したグレース・ケリー。
彼女を気に入ったヒッチコック監督は「ダイヤルMを回せ」「裏窓」「泥棒成金」と3作で起用し、彼女の美しさを存分にスクリーンに焼き付けた。
 人気絶頂期に、カンヌ国際映画祭で知り合ったモナコ公国の大公レーニエ3世と結婚し、公妃となった彼女の6年後からを描いた物語。
 女優時代の彼女の美しさは映画を見ていただければわかる。ディグニティという言葉がぴったり。それを十二分に活かしたのはやはりヒッチコック監督。そしてディグニティの中にある“情”と“艶”をも見せてくれたのもこの人。
だからこそ“雪をかぶった活火山”は正しい表現。そんな監督が、今は公妃となったグレース・ケリーの元へ訪ねてくるところから映画は始まる。目的は次作「マーニー」への出演依頼。とはいえ今は一国の大公の妻である立場、子女も一男一女あ李、女優は引退したも同然。とはいえ、6年経ってもいまだに宮殿のしきたりになじめず、様々なバッシングに心痛める日々。そんな時、レーニエ大公はモナコ公国にとって過去最大の危機に直面することに。

 当時のフランス大統領、シャルル・ド・ゴールからモナコへ過酷の課税を強要し、承諾しなければモナコ公国をフランスの領土とすると声明を出されるたのだ。一方、グレースはヒッチコックの出演依頼を引き受けることにし、レーニエに相談すると、女優復帰を認めてくれ、彼女はフランスとモナコ公国の問題が解決してからその会見を行う準備をしていたのだけど、極秘だったこの情報が何者かによって宮殿内からマスコミにリークされ“グレースがこの国から逃げ出そうとしている”とバッシングを浴びることに。さらにド・ゴールとの交渉に失敗したレーニエからは復帰を断るようにと言われ、失意のどん底に。離婚まで考えたものの、信頼している神父の「王族との結婚を夢見る人々は、その意味がわかっていない」という言葉で思いとどまり、改めてモナコの伝統や外交儀礼を学びなおし、公妃としての役割を理解し、女優として公妃になるための役作りに励む。そして情報をリークした宮殿内のスパイを探り、レーニエとモナコ公国を助けるための、ある秘策を実行することに・・・。
 グレース・ケリーを演じるのは、ニコール・キッドマン。彼女も女が優れていると書いて女優というものにふさわしい“女優”。だからこそグレースという伝説的女優を演じるにはタフとセンシティブを併せ持った彼女がぴったりだったと思う。もちろん美しいという共通点も備えているけれど。
 今作のクライマックスのシーンは、きっと彼女は脚本を読んだ時点で「これは私の最高の見せ場よね、いっちょやりますか!」と舌なめずりしたはず。さらにカルティエやエルメスなどが協力したグレースの衣装や宝石、小物類の豪華さにも彼女自身、「「ムーラン・ルージュ」以来やわ~!」と喜んだに違いない。まさにニコールにとって女優冥利な作品になっている。
『私は、マリア・カラス』
私は、マリア・カラス
 20世紀を代表するソプラノオペラ歌手、マリア・カラス。個人的にも大好きで、その個性的なビジュアルもさることながら、何と言っても歌、そして表現力。この人の舞台の映像を何度も見ているけれど、登場するだけで神々しく、彼女の周りだけワット数が違うんじゃないかと思えるほど光に包まれた感じがする。これまでにもドキュメンタリーやドラマは映画でもテレビでも作られているけれど、今作はほぼすべてが彼女の手紙や言葉、歌で綴られているのが特徴。そして彼女もまた女が優れていると書いて女優であるというのがわかる内容となっている。
 ニューヨークで生まれ育った彼女がやがてギリシャに移住し、アテネ音楽院に年齢を偽って合格し、入学したことが語られ、そこで恩師エルビラ・デ・イダルゴに詩を理解することや表現することを学んだことの感謝を話し、卒業してからのフィレンツェやミラノのスカラ座、ニューヨークでの公演などで実力をメキメキと発揮し、観客を魅了するも、ローマ歌劇場での降板を機にバッシングが起こり、ついにはメトロポリタン歌劇場の支配人からクビを言い渡されることに。心身ともに疲弊していた時に出会ったのが、20世紀最大の海運王と言われたギリシャの実業者、アリストテレス・オナシス。
 彼との恋愛が彼女を変え、声質まで変わったと言われるほど穏やかな日々を過ごしていくのだけど・・・。この後、さらなる信じられないような波乱万丈が彼女の前に繰り広げられるんですが、続きは今作を見ていただくとして、白眉は 「ノルマ」の「滑らかな女神よ」や「カルメン」の「恋は野の鳥」、映画「ロミオとジュリエット」で世界的に知られたフランコ・ゼフィレッリ監督が演出した「トスカ」の「歌に生き、恋に生き」の歌唱シーン。なんとカラーで今作では見ることができるのと、映画女優としては残念ながらこれ1作だけとなってしまったピエル・パオロ・パゾリーニ監督の「王女メディア」の撮影現場のシーンは貴重。さらにオナシスとバカンスに訪れたギリシャの小さな村祭りの舞台に飛び入り出演して、「カヴァレリア・ルスティカーナ」の「ママの知るとおり」を歌うシーン。「この2ヶ月は口を開けるのは笑うため」と謙遜しながらもしっかり聴かせてくれる。この時のお祭りで彼女の歌を聴けた人は本当に羨ましい。きっと代々語り継いでいるんだろうなぁ。
 そんな中で印象深く心に残るのが彼女に対してバッシングが巻き起こるエピソード。彼女の手紙では、声が出なくなって1幕で降板せざる得なかったことを訴え、その不安を吐露している。しかし世間はオペラに対する侮辱だと怒り、個人攻撃が始まったと。そして「椿姫」の歌詞を引用して「ひとたび堕ちた女は、生きる希望さえ消え失せる」と綴り、失意に暮れている様子がひしひしと伝わる。反面、テレビのインタビューでは「私には武器があります。冷静さと忍耐です」と発言する気丈さを見せたり・・・。
 マリア・カラスが女が優れていたからこそ対峙した自分の人生が今作には濃厚に浮かび上がっている。見終わって、改めて彼女が歌うオペラを聴けば、“深み”をもっと知ることができるはず。

順風満帆な人生を送る女優より、バッシングを受けてもそれをなんとかして跳ね返そうとする女優の方がさらに優れていくような気がします。今回紹介した5人の女優たちの映画、実は少し関係性がリンクしたりしているんです。それを見つける楽しみもきっとありますよ。

Writer | 仲谷暢之

ライター、関西を中心に映画や演劇、お笑い、料理ネタなどなどいろいろ書いてます。

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